- 作者: 鈴木義里
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2002/03
- メディア: 新書
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日本語の乱れに関する本は、ちょっと食傷気味だったのだけど、冒頭の以下の文ですっかりやられてしまった。大いに賛成。
ところが、乱れを嘆く人が多いのに、それはさっぱり改善されているふうに見えない。ということは、その乱れを本気で心配している人が案外少ないということなのではないか。(略)乱れているという声だけがただ繰り返されているこの状態は、どこかおかしい。(p.3)
以降、枝葉の引用ばかり。
中学生や高校生が家に帰ってテレビを見たり、音楽CDなどを聴くためには、特に感じはいらない。ややこしい文章を読む必要もない。画像を眺め、音を聞くだけでよい。携帯電話で友人と話すためには文字はいらない。あるいは文字を扱える機種の携帯電話でも、そこでは難しい漢字を使うこともないし、漢字変換はキー操作ですぐにできる。文法形式も構文もあまり複雑なものとはならないだろう。(p.29)
最近の携帯は音声だけで操作できたりするし。文字なしでここまでできるとは、恐るべし科学技術。
「日本文化」についてかつて坂口安吾が述べたことは、「日本語」にもだいたい当てはまるだろう。「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。わが民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここに我々の生活が魂を下ろしている限り、これが美しくなくて、何であろうか。」(『日本文化私観』一九四二年) (p.32)
坂口安吾ってこんな人だったのか。知らなかった。今度読もう。
七二年には南部 が「文字ヲ改換スル議」を、前島密が「学制御施行ニ先立チテ国字改良相成度卑見内申書」を著してローマ字化を建白した。(p.68)
「南部」の後ろに全角アキが。気になって調べてみたらどうやら「南部義籌」が正解みたい。あとで入れようと思って忘れてた?
友則の歌の中の桜の情景や春という季節のもつ情感というものが、日本人なら(あるいは日本語を母語とする者なら)自然に理解できるということはない。中学や高校での「古典」の学習を通じて、桜、春、散るなどということを「美」として感じる感じ方が、教え込まれ、刷り込まれていった結果として、この歌に詠まれているような世界に対する「日本人的」な受け止め方が身につくのだ。
考えてみれば、四月末から五月にかけて、桜が他のいろいろな草花と同時に開花する北海道の自然の中で生まれ育った人びとや、植生も気候も南方的な沖縄に育った人びとに、京都や奈良の自然の中で育まれた「日本的」感性が、外部からの「教育」なしに自らのものとなるはずがない。これまで、「国語」教育は、この点について十分に自覚的であったようには見えない。(p.132)
なるほど。とはいえ「自覚的」になればよいのかというと、そうでもなさそう。
言葉について冷静になれる人は少ない。自分が身につけたものを最善、最上と思ってしまう人は多い。中には例外的に逆の人もいるが、たいていの人は自分の言葉がいちばんよいのだという思いこみをしている(教育についても似たようなことが言える)。(p.135)
「例外的に逆の人もいる」のところが楽しい。中間の人はいないのか、と気になる。
普通のひとがよめないような、辞書でしかみたことのないような漢字をつかわないと自由な創作活動ができないなら、そういう作家はそういう作品をかけばいいが、作品が読者なしには成立しないものであることをかんがえるなら、漢字のことばをすくなくして、ひらがなのことばで表現することをこころがけたほうがよいのではないだろうか。(p.154)
一理ある。でも何かちょっとひっかかる。上手く言えないけど、「普通のひとがよめないような」部分も、文化には必要なのでは、という気がする。たとえば散歩も楽しいけど、散歩は絶対に「スポーツ」にはなれない。
すでにアイヌ語を単一の使用言語とする人はいないだろう。これは自然にそうなったわけもなく、日本語によってアイヌ語は絶滅に近い状態に追いやられたのだ。(p.169)
不覚にも、この視点は今まで考えたことがなかった。
しかし、いったん使用されなくなった言語を復興することは、非常に困難である。言語復興の例としては、ヘブライ語の場合が知られているが、それ以外で、本当に成功した例というのは、あまり見あたらないのではないだろうか。(p.189)
不勉強なのでヘブライ語のことも知らなかった。以下は Wikipedia「ヘブライ語」から引用。
19世紀にロシアからパレスチナに移り住んだエリエゼル・ベン・イェフダー(1858年 - 1922年)は、ヘブライ語を日常語として用いることを実践した人物であり、ヘブライ語復活に大きな役割を果たした(彼の息子ベン・ツィオンは生まれてから数年間はヘブライ語のみで教育され、約二千年ぶりにヘブライ語を母語として話した人物となった)。しかし、彼が聖書を基に一から現代ヘブライ語を作ったわけではない。彼の貢献は主に語彙の面におけるものであり、使われなくなっていた単語を文献から探し出したり、新語を作ったりして、現代的な概念を表すことができるようにした。そのために全16巻からなる『ヘブライ語大辞典』を編纂したが、完成間近で没し、死後に出版された。
一代で言語の基礎を作り上げるなんて、にわかには信じがたいけど、信じるしかないのか。これを信じてよいなら、漢字を発明した四つ目の蒼頡の伝説も、そう悪い話じゃない。
国語の本を読むとどうしても引用が多くなる。やはり「冷静になれる人は少ない」ということなのか。ちょっと悔しい。