言語はこうして生まれる —「即興する脳」とジェスチャーゲーム—

f:id:yasumuni:20221230190217j:image

 

たった一つのアイデアから広げる大風呂敷の心地よさ。まだ実証されてない内容が多く、良い意味でスリリング。自然淘汰とのアナロジーも楽しかった。

 

AI を使ったシミュレーション(多分毎秒数千回のジェスチャーゲームをこなせる)で AI 独自の言語が発生するのを見てみたい。

 

以下、いろいろ引用。

 

大人の話者は、およそ一〇〇〇語に一回は単語の発音を間違えたり言葉遣いを、誤ったりするというから、子供がその四倍から八倍の頻度で言い間違いをすると聞いても不思議ではない。(p.74)

 

これらすべての複雑さは、誰も設計していない自然発生的な秩序の累積的な力から生じている。要するに、人間の最も重要な発明品は偶然の積み重ねでできている。(p.120)

 

そうしたあざけりの痕跡が、これらの説につけられた通称にいまも残っている。擬音語説は「ワンワン説」と呼ばれ、間投詞説は「プープー説」、普遍的共鳴説は「ディンドン説」、共同リズム説は「ヨーヘイホー説」と呼ばれた。(p.130)

 

言語に生物学的な制約があるかどうかを討論する必要はない。明らかに制約はある。ここで重要なのはそれよりも、そうした制約は本質的に言語にかかっているものだから、したがって言語向けの適応が必要だったのか、それとも、そうした制約はほかの非言語的な、言語の進化的な出現より前からあった能力に由来するものだから、したがって生物学的な変化はいっさい(あるいは最小限しか)必要ないのかだ。われわれ著者は、後者に賭ける。言語はすでに存在していたメカニズム——学習や記憶や社会的コミュニケーションのための機序に便乗して進化したのだと信じたい。(p.172)

 

言語学習はそれこそ子供の遊びのように簡単なのである。なぜなら言語は人間に学習されるよう、とくに子供に学習されるように進化してきたからだ。(p.199)

 

その結果、子供の言語技能の予測因子となるのは子供が参加した会話の順番交替の回数であり、親が子供に語りかけた単語の数や、子供自身が発した単語の数ではないことがわかった。(p.223)

 

今日、ローラ・ブリッジマンの名はほとんど忘れられている。彼女がなしとげたことは、五〇年後に彼女と同じ道をたどったヘレン・ケラーのなしとげたことの陰に隠れてしまい、いまやヘレン・ケラーこそが目と耳の不自由な身で英語を習得した最初の人物と、誤って多くの人から認識されている。だが、そもそも一八八〇年代の初めにアン・サリヴァンに指文字の技能を教えたのがローラその人で、それをのちにサリヴァンが使ってヘレンを言語の世界にいざなったのである。(p.236)