
著者が「不幸になりたがる人たち」に、つかず離れず並走しているのが素敵。自分もかくありたい(難しい)。
いろいろ心に響いた。ちょうどこういう本を読みたかったのだと思う。運が良かった。
以下、いろいろ雑多に引用。
患者が「治りたがらない」ことについて。身に覚えがある。分かる。
市橋秀夫の『心気症の小精神療法』という論文(『精神科治療学』6(3)一九九一)には、心気症患者について、「症状は患者の武器である。武器を取り上げることから治療を始めれば、患者は武器にしがみつく。その武器を必要としなくとも生きられる力をつけることが目標と考えてもよい」と記されており、彼らの「治りたがらない」機微が巧みに描かれている。心気症患者にとって、心身の不調はより大きな不幸を防ぐための武器なのである。(p.56)
以下、二箇所引用。突然現れた「物語という形」、「文学の役割」という語彙に驚く。ローティ哲学「偶然性・アイロニー・連帯」と重なる。
>>
病的な不安を抱え、しかもいささか歪んだ思考回路を備えた人物がいたとするなら、何かを身につけたいと願ったとき、彼らには儀式にも似た訓練や勉強法が必要となるだろう。(略)
心が健全であろうと病んでいようと、我々は現実から法則やロジック(ときにはそれは物語という形をとるだろう)を見出し、あるいはジンクスやマジナイにも似た思考にすがりつき、(略)(p.102)
岩井が語るように、人間がどこか不幸とか悲惨さとかを求めてしまうのは、本来はある種の精神的な防衛機構に由来しているのではないかと、わたしは空想するのである。ただしそれを証明することは、むしろ文学の役割であるのかもしれない。(p.172)
下記、「真相は『面倒だったから』」大賛成です。
それにしても億劫という心性こそが、人間の行為を不可解にしたり人生を不幸にする大きな要素のひとつなのであろう。(略)犯人には捕まえてもらいたいという願望、処罰されたいといった無意識の願いがあったのだ、などとまことしやかに解説されることがあるが、真相は「面倒だったから」というミもフタもない理由へ帰着してしまうことがむしろ普通なのである。(p.146)
映画「どうすればよかったか?」(統合失調の姉を最終的に癌で亡くすドキュメンタリー)を受けての、下記。「失敗例」であっても、それに寄り添う姿勢。
成果主義的な発想においては、このケースは失敗例ということになるのだろう。だが成果主義の文脈における「成功」が起きることなど「あり得ない」事例だと思う。弟は善戦したと思うし、外部との連携でもう少し別なストーリーもあったかもしれないけれど、(略)(p.255)
#ブクログ #booklog
https://booklog.jp/users/yasumuni/archives/1/4480440712