オノマトペで言語のかなりの部分を語ってしまっていてすごい。
対称性推論(論理的に正しくない)が言語習得に深く関わっていると知る。確度の低い推論が、自然淘汰で最終的に優位になるのだとしたら、ちょっと興味深い。
以下、対称性推論のところを引用。初めて知ったので、とてもスリリングだった。太字は原文通り。
そう、対称性推論をごく自然にするバイアスがヒトにはあるが、動物にはそれがなく、このことが、生物的な種として言語を待つか持たないかを決定づけている、という仮説である。これはもちろん、著者たちがはじめて考えついた仮説ではない。動物の思考を研究する研究者たち、とくに対称性推論を研究する研究者たちがずっと昔から指摘してきたことだ(p.234)
もうひとくだり、長いけど引用。
いずれにせよ、対称性推論による(論理的に正しくない)逆方向への一般化は、言語を学び、習得するためには不可欠のものであるし、我々人間の日常の思考においても、科学の中で現象からその原因を遡及的に推論する因果推論においても必要なものである。
帰納推論・アブダクション推論という誤りを犯すリスクのある非論理的推論が持つ利点をあらためて考えてみよう。先述のように、これらの推論は、既存の限られた情報から新しい知識を生み出すことができる。しかも、より少ない法則や手順で多くの問題を解くという節約の原理にかなっており、不確かな状況、能力的な制約の下で、限られた情報でも、完全でないにしろそれなりに妥当な問題解決や予測を可能にしている。
また、事例をまとめるルールを作ることで、外界の情報を整理・圧縮することが可能になり、情報処理上の負荷を減らすことができる。現象からその原因を遡及的に推理し、原因を知ることで、新しい事態にも備えることができるのだ。
ヒトは、居住地を全世界に広げ、非常に多様な場所に生息してきた。他方、そのために多くの種類の対象、多民族や自然などの不確実な対象、直接観察・経験不可能な対象について推測・予測する必要があった。未知の脅威には、新しい知識で立ち向かう必要があった。この必要性を考えれば、たとえ間違いを含む可能性があってもそれなりにうまく働くルールを新たに作ること、すなわちアブダクション推論を続けることは、生存に欠かせないものであった。アブダクション推論によって、人間は言語というコミュニケーションと思考の道具を得ることができ、科学、芸術などさまざまな文明を進化させてきたと言えるかもしれない。
他方、生息地が限定的なチンパンジーなどでは、生活の中で遭遇する対象の多様性・不確実性がヒトほど高くない。そのような環境の下では直接観察できる目の前の対象を精度よく処理するほうが生存には有利なので、「間違うかもしれないけど、そこそこうまくいく」思考はそれほど必要なかったのかもしれない。その場合、誤りのリスクを冒してアブダクション推論をするより、誤りを犯すリスクが少ない演繹推論のほうが、生存に有利だったのかもしれない。(p.244〜245)