「死にたい」と言われたら

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十年ほど前、鬱気味で「死んじゃうかもな」とか思ってた。鬱を思い出すのは怖いけど、当時を振り返りたい気持ちもあり購入。自分の中に残ってる鬱成分を実感しつつ(ちょっとしんどい)読了。少し客観的になれたかも。とても静かで、良い本。

 

以下引用(強調は原文にはありません。こちらでつけました)。

 

対人支援はディベートではありませんので、相手を論理的に問い詰めて論破したところで、その人の考えが変わることは稀なことです。(略)どちらかといえば、相手が論破しようとして言い立てた事柄に対してさまざまな考えを巡らせ、反論したくなるはずです。関係性も壊れ、考えの傾向が変わることもない。自殺予防という観点からすると、いいことは何もありません。(p.73)

 

繰り返しになりますが、一人でできないのであれば、援軍を呼ぶ必要があります。誰が適当な援軍なのかはこれまたケースバイケースですが、あまり期待をしすぎずに、さまざまな人をとりあえず1回あてにしてみて、あてにならない時はサッと乗り換える、くらいの感じがいいと思います。(p.79)

 

また、SNS やインターネットの存在は行政機構だけではなく、自殺対策を行うことを営利企業にも求めることを可能にしました。いくつか例を挙げてみたいと思います。過去には、硫化水素自殺が流行した際に、ある薬剤が通販サイトで購入されると、それと混ぜることによって硫化水素を発生させることができる別の薬剤の購入がリコメンドされるということがありましたが、こうしたリコメンドが発生しないよう、現在では改善されています。(p.178)

 

命は全て尊いものではありますが、価格や値札をつけることができないものではありませんし、その価格がいつでも無限大になるわけではありません。(略)無限の価値を持つ命を守るために無限の予算が神様によって用意されているわけではないのですから。(p.180)

 

大変なことではありますが、やろうと思えば、誰でもできることであり、なるべく多くの人が関わることで、この社会はより良くなっていきます。(p.184)