暇と退屈の倫理学

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「暇と退屈」に興味を惹かれて買ったけど、自分の知ってる「暇と退屈」じゃなかった。

 

あと、哲学は実証なしでどんどん理論を積み重ねていくので「パンツ履いてない」みたいな気分になる、という気付きがあった。

 

それはそれとして人生の指針になる良い本だった。(正直に言うと、読んでる途中は「そんな厳しいこと言わんといて」と逃げ出したくなったんだけど、なんとか読み切れてよかった。)

 

以下のところ、「言語はこうして生まれる」の「ジェスチャーゲーム」と似てる。

 

人間の環世界のなかで大きなウエイトを占めているのが、「習慣」と呼ばれるルールである。習慣というと、毎日の繰り返し、ある種の退屈さを思い起こすかもしれない。(略)

しかし、人間の環世界が習慣に強い影響を受けるものであり、そしてそれぞれの環世界は途方もない努力によって獲得されねばならないのだとしたらどうだろう? 習慣に対する見方は一変するはずである。習慣とは困難な過程を経て創造され、獲得されるものだ。習慣はダイナミックなものである。

しかも、ひとたび習慣を獲得したとしても、いつまでもそこには安住はできない。習慣はたびたび更新されねばならない。学年が変われば、担任が変われば、(略)、同僚が変われば、習慣を更新しなければならない。私たちはたえまなく習慣を更新しながら、束の間の平穏を得る。(p.373)

 

以下のところ、感動した。生物自身が「認識している範囲」が、その生物の「身体」となるのだ。このモデルにはある種の整合性があると思う。

 

小児科医の熊谷晋一郎は、これを次のように説明している。「世界体験の中で次々に立ち上がる事象のうち、もっとも再現性高く反復される事象系列群こそが「身体」の輪郭として生起する」。(p.482)