- 作者: 泉鏡花
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1950/08/15
- メディア: 文庫
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一度目では意味を理解できず、二度読んだ(「にごりえ・たけくらべ」のときと同様)。文脈、文章の繋ぎかたが自分の知っているやりかたと違うと、ちっとも頭に入らない。でも二回目読むとすっと入ってくる。
「(略)思切って坂道を取って懸った、侠気(おとこぎ)があったのではござらぬ、血気に逸ったのでは固(もと)よりない、今申したようではずっともう悟ったようじゃが、いやなかなかの臆病者、川の水を飲むのさえ気が怯(ひ)けたほど生命(いのち)が大事で、何故又と謂わっつしゃるか。
唯挨拶をしたばかりの男なら、私は実のところ、打棄(うつちや)って置いたに違いはないが、快からぬ人と思ったから、そのままで見棄てるのが、故(わざ)とするようで、気が責めてならなんだから」(p.19)
こういうことを、するりと書かれると、ああ作者は正直なのだなと、こちらも真面目に読まなきゃなと思う。泉鏡花は好きかもしれない。
会話文の入れ子のとき普通の括弧を使っていた。こういう約物の使いかたも当時はあったのか、と思う。
「(さあ、私に跟いて此方へ)と件の米磨桶を引抱えて(略)」(p.34)
あと、もう少し振り仮名を振って欲しいと思った。
お民は唾をのみ、
「真個(ほんとう)ですか」
「真個ですとも、真個(まつたく)ですよ」
「真個に、謹さん」(p.89)