以前読んだ「親指はなぜ太いのか」と同じ作者。相変わらず大胆な(詰めの甘い感じのする)内容だけど、そういうもんだと割り切ってしまうと楽しく読めた。
以下いろいろ引用。
ゴリラには O 型の血液型はない。O 型はチンパンジーにもオランウータンにも人間にもあるのに、ゴリラにないことは、進化史上ごくごく少数集団になるまで個体数が減ってしまった厳しい時期、ボトルネックと呼ばれる遺伝的に狭い通路を通ったことを示す証拠と考えられている。(p.66)
ゴリラ雑学。
だが、その姿は決して優美なものではない。たくましい体に美しい毛をまとって平原をまっすぐに立って歩くホモ・エレクトゥスたちに比べれば、水辺で潜り、魚を捕り、貝をむさぼる、頭から長い毛をたらした、全身真っ黒の裸の二足歩行する類人猿は、悪夢の中なら生まれた妖怪と形容したほうがいいだろう。私たち現代人の出現は、そういうものだっただろう。(p.190)
こういう「科学的でない」表現がときどき挟まってるので、「似非科学なのか?」と不安になる。
最初の出アフリカに失敗したホモ・サピエンスは、一〇万年前にはすでに、紅海でカキやその他の貝類、甲殻類などを漁っていたが、ここでは、大型のシャコガイはホモ・サピエンスの到着直後にいなくなっており、ホモ・サピエンスの特徴であるオーバー・キル(資源の回復不能なまでの利用)が起こっていた。この資源利用方式もまた、ホモ・サピエンスがきりもなく、その生息地を拡大しなくてはならない理由だった。(p.202)
人類の特性としての自然破壊。
こうしてホモ・サピエンスは、長い子ども時代に遊びの中からはぐくまれた創意工夫と、爆発する人口を背景にした若者世代の破壊力と壮年時代の技術開発力、老年世代による知識伝達によって二万四〇〇〇年前から一万三〇〇〇年前までつづく「全面的氷河」の時代を乗り切っていく(p.203)
文字(文字の記録媒体)のない世界では、「老年」であることが世代を超えた知識伝達の手段なのだな、と納得。
ホモ・サピエンスが出現して以来のこの二〇万年は、種の生存期間としてはいかにも短いが、同じ時間の間に、アルディピテクスが絶滅してアウストラロピテクスが生まれたことを見ても、この時間は次の種を生み出すために十分な時間である。(p.253)
なるほど。