先天的なものと後天的なものを区別しないのが気になる。でも、そこに触れると別の本になってしまうので、意図的に無視したのかもしれない。
「頭足人(とうそくじん)」のくだりが(科学的に正しいかどうかは別にして)面白かった。
先天的なものと後天的なものを区別しないのが気になる。でも、そこに触れると別の本になってしまうので、意図的に無視したのかもしれない。
「頭足人(とうそくじん)」のくだりが(科学的に正しいかどうかは別にして)面白かった。
ブラックとコメディとミステリーが、ほどよく配合された連作短編集。楽しく読めた。
あ、あと、青春も配合されてます。
(P[わ]1-1)プラスマイナスゼロ (ポプラ文庫ピュアフル)
語りかける口調の専門書。研究人生の集大成のよう。もしかしたら科学を前提にしたエッセイなのかも。
2018 年のパインぱんの人。妻のパインぱんフォルダより(妻に感謝)。
いつでも羊の皮をかぶってる人だと思ってたのだけど、このエッセイでもかぶってはいるのだけど、ちらちらと中身が(羊じゃない生き物が)垣間見えるので、ちょっと怖かった。
進化や化石のを扱う本は、どこかセンセーショナルだったりロマンチックだったりしがちだけど、この本は抑制が効いていて良かった。何というか、その、教科書みたいな安心感があった(ほめ言葉です念のため)。
11の化石・生命誕生を語る[古生代] (化石が語る生命の歴史)
タツノオトシゴのことを知らないな、と実感した一冊。タツノオトシゴのことを前より少し好きになった。
以下、タツノオトシゴを好きになるエピソードの引用。
ベトナムのある漁師は、タツノオトシゴの保全に関する議論の際、「みずから漁具につかまるような愚かな魚をどうやったら保護できるんだい?」と言ってきました。(p.25)
タツノオトシゴは、驚くとより強くモノにつかまるので、そのモノと一緒に流されてしまったり、新たにつかまるモノを見つけるために時間がかかってしまうと、探索のために危険な時間を過ごすことになります。(p.25)
一方でタツノオトシゴは、驚異的な帰巣能力をもっています。H. guttulatus のある個体は 150m も離れたもとのつかまるモノに 8 日後に戻り、別の個体は 60m 離れた元の場所に 1 日で戻ったことがが観察されました。(p.25)
「驚異的な帰巣能力」のスケール感が 150m。
たとえそれが、種の保全という本質的な価値ではなく、薬の原料としての価値を守るためだとしても、彼らもまたタツノオトシゴが存続することを望んでいるのです。(p.49)
この著者のエッセイ(エッセイ?)は安心感がある。良い塩梅の感性。1冊目の「にょっ記」は未読。
前評判とオビから想像していた内容そのまんまだったので、逆に驚く。個人的には生物の構造色のくだりが良かった。
最初のパートで書かれていた以下の内容は、漠然と感じてはいたけど、きちんと理解してないことだった。文章として読んで、納得した。収斂進化は、比較的、表層的なものなのだ。
体内の体制を段階的に構築することはできないのだ。つまり、体内の体制の収斂進化は起きない。(p.26)
科学の本ではなくて、ジャーナリズムの本だと分かっていても、この手の本は面白く感じてしまう。一気に読んじゃいました。
自分の興味に完全に合致した内容で、読解に必要な知識も今の自分にマッチしている、という奇跡の一冊。感動的な読書体験でした。
以下、覚え書き引用。
とりあえず、色には秩序があり、一貫性のあるやり方でものの色のグループ分けができるし、そのグループ分けについてはお互いにほぼ同意できるということにしておこう。同意できない部分についても、見解の相違は素っ頓狂でもなく謎でもない。色覚障害者(遺伝的な理由からたいていは男性だ)は、緑のものと赤のものを同じグループに入れるかもしれないが、おかしいと言ってもその程度である。それ以上にユニークなもの色分けをした人はいない。(p.326)
「見解の相違は素っ頓狂でもなく謎でもない」「おかしいと言ってもその程度である」のあたり、素敵な表現。
フィンランドの空は英国南部の空よりももっと青い。太陽光が大気を通過する距離が長ければ、波長の短い青い光の散乱が多くなる。(略)フィンランドでは太陽光線は斜めに大気を通ってくるので、空の青さも強烈だ。英国南部だと、太陽光はもっとまっすぐに差す。いちばん通過する大気が短いのは赤道だから、赤道の空は青いというより白っぽい。(p.335)
空の色って、感性の問題とは別に、物理的に異なるんだと気付く。落ち着いて考えれば中学生の知識で分かることだけど、この文章を読むまで全く気付いてませんでした。
正常な色覚をもっていたネイサンズは、自分の X 染色体にも混乱があるのを発見してびっくりした。彼が予想していたのは赤と緑の二つの受容体の遺伝子が存在することだった。ところが彼には三つあった。この種の脱落や重複は珍しくない。遺伝子と色素はわかりやすい一対一の関係どころではなく、「赤」と「緑」の受容体をコードしようとして、X 染色体のうえに九つの遺伝子が集まっていることもよくある。このために正常な色覚の持ち主でも、緑から赤にかけての中間の波長や長い波長の光の知覚は個人によって非常にばらつきがあると思われる。(p.383)
ここまでくると「正常」の定義が難しくなってくる。
有袋類は進化して十分に日のあたるニッチで暮らし、二億四〇〇〇万年以上、三色型の色覚を享受してきた。有胎盤類は夜行性のほうのニッチで生きてきた。人間は夜行性の動物の子孫で、優れた暗視能力は(先進国の人々の多くは気づかないままで終わることが多いが、人間の暗視能力は優れている)暗がりで暮らしてきた名残の一つなのだ。そしてもう一つの名残が、相対的に見掛け倒しで不完全な色覚である。(p.390)
「相対的に見掛け倒しで不完全な」という表現が素敵。進化は常に発展途上。