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「しがらみ」を科学する

図書館の本 好きな作家

「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)

「しがらみ」を科学する: 高校生からの社会心理学入門 (ちくまプリマー新書)

手に取ったときは全く思ってなかったのだけど、これはずっと読みたかった本だった。

多くの人は、まわりが自分に何を求めているのか、まわりに合わせるためにどうすればいいのかを、何の苦労もなく直感的に理解できます。幸せな人たちですね。(p.4)

この「幸せな人たちですね」には、ちょっとした文学でも出会えないほどに感動した。

男性脳女性脳のところは科学的にどうなのかと正直思うが、以下にはやはり共感。

もちろん、男性脳の持ち主がすべて共感が苦手だとか、ほかの人と上手くやっていけないというわけじゃあない。そうしたことが得意な人もいるし、ちょっとだけ苦手だけど何とかなるという程度の人たちもたくさんいると思う。そうしたことが上手くできない人たちは、自分の苦手な点を得意なやりかたでうまくカバーできれば、他の人にはできないユニークな生き方ができるようになると思うんですね。(p.160)

(略)共感性が苦手でも、それだけで自分勝手で利己的な人間だと決めつける必要はないのに、多くの人はそう考えてしまう。(p.161)

「多くの人」に反して正しく個人を理解するのは難しそうだ、と逆の立場で想像してしまう。

以下、枝葉末節引用。

だけど、その時に、その逆のことはしないんだ。たとえばA型なのに、そういった性格ではない人を思い出そうとしたり、そういう性格なのにA型以外の血液型の人を思い出そうとしない。つまり、あたっている人だけを思い出そうとする。(p.69)

たぶん情報処理の効率を上げる目的でそのような検索ロジックになっているのだと思う。そのせいで占いを信じやすくなっているのだとしたら、ある程度は仕方のない弊害のような気もする。どうなんだろう。

阿部謹也先生はもう少し極端な言い方をしていて、江戸時代には「個人」という言葉も、ほかの人たちから切り離されて独立した存在としての個人という考え方もなかったと書いている。だから「世間」という考え方の中には、個人と社会の対立という観点が含まれていないんだ、って。(p.166)

複数の人間の集合体としての「世間」という生物の「脳」をイメージした。現実の脳は単細胞生物による「世間(社会)」なのかも。

こうしたことを、この本の第 2 章では、人々の行動そのものがインセンティブを作り出している状態としての「社会」と呼ぶことにしたのを覚えてますか。人々は(まわりの人たちからの反応である)インセンティブに従って行動するので、そうしたインセンティブが存在しているかぎり、人々は予測可能な行動をとるようになるんだってこと。そうした行動をとらないと、自分の首を絞めることになってしまうから。(p.161)

すばらしい要約。つまり、何らかのインセンティブを意図的に与えることで特定集団の行動を高い精度で「予測」できるようになってしまう、ということだと思う。 少し飛躍するけど、これは一種の「科学的リーダーシップ」なのかもしれない、と思った。