なぜメルケルは「転向」したのか-ドイツ原子力四〇年戦争の真実
- 作者: 熊谷徹
- 出版社/メーカー: 日経BP社
- 発売日: 2012/01/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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とらえどころのない細かなトピックが積み重ねられていくうちに、少しずつドイツと日本の差が理解されていく、不思議な体験。どこをひとつとっても全く本質は書かれていないと思うが、全体を通じると何かが理解される。
以下、例によって枝葉引用。まずはカントのKI。
つまりいくら法律や命令であっても、個人の道徳観と一致しない物は拒否しなくてはならない。この論理はナチスの強制収容所の看守らを訴追した裁判でも使われた。人種法などナチス・ドイツが定めた多くの法律は、自然法に照らせば違法だった。世の中には、ときおり「従ってはならない法律」があるのだ。自然法の重視は、ドイツなどEU諸国で死刑が廃止されている根拠の一つにもなっている。刑罰といえども人を殺すことは、カントのKIに違反する。(p.236)
以下の部分は、自分が素直に賛同していることについて、空恐ろしくも感じる。ちゃんと休まないとなあ。
仕事のためには、個人の事情も二の次にすることがある。我々日本人は急な注文を受けても、多少無理してでもこなしてしまう。「頑張ることによって、不可能を可能にすること」に我々は一種の美しさ、満足さすら感じることがある。これは日本人が今後も守るべき美徳の一つである。(p.247)
あと、孫引きになるのでしょうか、マーフィーの法則。ちゃんとしたのを読むのは初めて。
「ある任務を成し遂げる際に二つの可能性があるとする。そのうちの一つの方法を取ると、大参事などの望ましくない結果につながるとする。この場合、望ましくない結果につながる方法を取る者が、必ず現れる。(p.258)
確かに。