科学者の社会的責任

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道徳や倫理を科学的手法で組み立てると、この本で紹介している RRI(Responsible Reserch and Innovation)になるのかも、と感じた。そうであれば、科学的手法なので、しかるべき回数の実験観察(試行錯誤)の結果として、相応の成果が得られるのではないかと思う。それはそれで怖い時代だな、と思う。

 

(略)RRI 概念を最初に提唱したといわれるフォン・ショーンベルクは、二〇一〇年の論文のなかで以下のように述べている。

(略)しかし、科学的発見の結果や技術のデザインは、そういった評価がしにくい。科学的発見も技術的イノベーションの結果も、特定の個人の意図に帰結させるのは難しいのである。技術的イノベーションの結果はたいていの場合、個人の行為の結果というより、集合的行為の結果、あるいは市場経済のような社会的システムの結果である。(p.58)

 

EU の行政官が責任という言葉に込めたものは、第 5 章でも見たように、科学技術を開発する側の「集団としての共責任」であった。共責任を実現するために、RRI 概念にさまざまな理想を結集させ、個人の責任に対するシステムとしての責任、意図せぬ結果の責任、不確実性の責任、職業的役割責任と共責任、といったさまざまな解くべき課題の結節点としてこの言葉を用いたのである。ところが、現場の研究者に届くころには RRI は管理の道具として批判される。(p.68)

 

あとがきの出だしが「筆者は一九八一年四月に東京大学理科一類に入学した。高校時代、特殊相対性理論の原著翻訳を読んでいた物理少女は、…」となっていて、どこのラノベかと二度見した。それはともかく考えどころの多い良い本でした。

 

科学者の社会的責任 (岩波科学ライブラリー)

科学者の社会的責任 (岩波科学ライブラリー)