知をひらく

知をひらく?「図書館の自由」を求めて

知をひらく?「図書館の自由」を求めて

図書館って面白いなあと改めて感じた一冊。図書館戦争を先に読んでしまっていたので偏った先入観があったのだけど、それはそれで面白い感覚だった。

資料収集の自由・資料提供の自由について多く書かれているが、現実問題としてなんでもかんでも収集するわけにはいかないわけで、そのあたり現実的具体的にどのような手順でどのように取捨選択されているか、もう少し詳しく知りたい。

とりあえず「統計的に偏りなく資料収集していることを測る客観的尺度」のようなもの(イメージとしては標準偏差のようなもの)が必要では、と思ったが、でもそんなものがあると逆に皆思考停止してしまって、尺度に依存した偏りが正当化されるだけか。やはり難しい(興味深い)なあ。

p.121 あたりで社会教育法(公民館法)の話題があり、そういえば小学生のころ公民館の図書室に出入りしていたことを思い出した。狭くてほこりっぽくて会議室程度の広さしかなくて、表紙の壊れたのやページが抜けた本も当たり前にあって、それでも大好きな場所だったと記憶している。

以下枝葉末節引用。

(略)「子ども」に対するものが「良書主義」であり、「大人」に対するものは「検閲」であることから誤解を与えかねない表現なので(略)(p.151)

そう言われてみると確かにそうなのか。わかりやすい説明だけど用語定義として正しいのか、ちょっと興味あり。

そもそも図書館が「閉架」から「開架」へと転換したときに、一定の紛失は覚悟していたのであって、そのために貴重なものやなくなっては困るものについては「閉架」に入れたり、複本を用意していた。むしろ、図書館としてある程度我慢しなければならないリスクだと理解されていた。「不明本」の存在を図書館界は一種の必要悪とみてきたのではないか。管理を厳しくして、また前の自由に図書が手に取れない時代に戻るのはいやだと。(p.242)

「開架」にはこういう決意があったのか。知らなかった。「開架」に感謝しつつ、「開架」を普通のものと慣らされていた自分に少し反省。関係ないけど、「閉架」、「開架」が漢字変換できなかったことに少なからずショックを受ける。「複本」は変換できたのに。

だが、「ユネスコ公共図書館宣言」(一九四九)に示された「近代公共図書館の五原則」で(公開図書館は)①地域社会のすべての住民に対して公開されていること(公開の原則)、②無料で利用できること(無料の原則)を基本としていることを踏まえるならば、「図書館の自由」とは「利用の自由」を含むものとするのが当然であろう。(p.255)

海外のトピックを目にすることがほとんどないのだけど、日本の活動って相対的にはどのような位置づけなのだろう。興味あり。

図書館における「ホームレス」の問題は何もいまに始まったことではない。一九六〇年代後半から一九七〇年代頃、大阪市立天王寺図書館の館長だった森耕一が天王寺公園の「ホームレス」の人たちの図書館利用の実態について文章を書いているという。(p.257)

なぜに伝聞形式? 事実だとしたらなんとも歴史のある話だけど、年代にも随分幅があるので、にわかには信じがたい。図書館関係者である著者が出典を特定できないようなレベルの情報なら、こういう本には記載しないほうがよいと思うのだけど、どうなのだろう。

3 「六曜」記載手帳問題(p.298)

「六曜」が人権問題と関連してるなんてまったく知らなかった。勉強しないとわからないことは多いなあ。

12 『図書館戦争』が私たちに問いかけるもの(p.322)

専門家の人たちが「ラノベ」読んで議論したりするのって、こういうギャップって、素晴らしいと思う。