詩集は敷居が高い気がして、詩人のエッセイを買ってみた。詩というのは感情と感性だと思い込んでいたのだけど、もしかしたら「身体(生活)と理屈を結んだもの」かもしれないな、と思った。良い本でした。
私はうんこ、しっこが生きることの究極の現実だと思っている。(p.110)
たとえ知人から贈られた本であれ、私には読みたいものを読みたいときに読む権利がある。憲法を参照すればどこかにそんな条項があるはずだ。(p.203)
会社が「〇〇式ジョブ型云々」みたいなことを言い出したので、仕方ない勉強するかと購入。ジョブ型礼讃の書だったらどうしようかと構えて読み始めたけど、杞憂だった。どちらかと言うと現状解説の本で、著者の主張は少なめ。今の自分に丁度良い。
以下、備忘録的引用。
(略)それができていれば、そのジョブにあらかじめ定められた価格(賃金)が支払われます。これがジョブ型の大原則であって、そもそも普通のジョブに成果主義などはなじみません。例外的に、経営層に近いハイエンドのジョブになれば、ジョブディスクリプションが広範かつ曖昧であって、できているかできていないかの二分法では足らず、その成果を事細かに評価されるようになります。(p.7)
ですから、この日本型成果主義は、ジョブ型社会のハイエンド労働者層に適用される成果給とは異なり、成果を測る物差しとなるべき職務が何ら明確でなく、「上司との相談で設定」という名の下で事実上あてがわれた恣意的な目標でもって、成果が上がっていないから賃金を引き下げるという理屈付けに使われただけだったと言えます。(略)労働者側における納得性が失われてしまい、結果としてモラールの低下につながったという評価が妥当でしょう。(p.154)
ところが職務の明確化が進んでいるわけでもなく、職務構造は曖昧なままで、自己中心的なナルシス型が「それは私の仕事じゃない」と言い出すと、実際の職場は回らなくなるため、気配りの利く人ほどそこを抱え込むことになり、へとへとになって、しまいには鬱病になって自殺にまで追い込まれるというわけです。(p.243)
「へとへと」が良い。
2 章あたりで「何を読まされてるんだ(褒め言葉)」と戸惑う。3 章あたりで「これはたぶんヤンデル先生の生き方について書かれているのだろう」と勝手に納得して、そこからはすんなり読めた。なるほど。良い読書体験でした。
軽めの現代怪談だと、最初は勘違いしてた。読んでくうちに、とても繊細な物語だと気付いた。時間をおいて読み直したい。
仕事のやる気がない。なんとかコントロールする必要がある。そこに安心の「ちくまプリマー新書」があったので購入。
その日のうちに読んで、いろいろ納得。満足。やる気はまだない。
今後のやる気のコントロールに向けて、いくつか引用。
スマホが誘惑となっている人は、スマホの電源を切って、かばんの奥底にしまっておきましょう。
こうした原始的な方法が、実は抜群の効果を持つのです。(p.66)
子どもたちが一番多く輪投げをしたのは、成功の確率が五〇%と感じている距離からでした。この実験からわかったことは、輪投げが難しすぎるとやる気を失い、一方簡単すぎてもやる気を失うということです。(p.90)
私が実施した調査では、達成できない困難な目標をあきらめずに、いつまでも努力を続けていると、うつになりやすいという結果が得られています。(p.100)
語り口が見事で一気に読んだ。「風呂敷を広げ過ぎでは?」と心配になったけど、終盤で豪快に伏線たちが回収されていくのを見て、あんぐり。
「一気に魚まで行くなんて、ほんまかいな」と思って読んだら、ほんまやった。研究の楽しさが伝わってきて心地よい読後感。
以下、いろいろ引用。眼の良し悪しについても「子孫を多く残す」ことが大事であること。
直感に反するかもしれないが、見えるものをありのまま反映するのが良い眼なのではない。真実を反映することより、事実とは異なる見え方が生存率を上げ、子孫を多く残せるのであれば、そのような見え方が自然淘汰により進化するのだ。(p.36)
以下の部分、「おふたり」「お考えに」の「お」に傍点。お茶目。
そのようなおふたりが、さっそく批判論文を書いたのだ。(略)なにせ、ご両人ともが「これは捨ておけぬ」、とお考えになったのだから。(p.150)
実験のセッティングが重要である件。
ホンソメは確かに高度な認知能力を持っている。しかし、魚類ではじめて鏡像自己認知が見つかったのがホンソメである理由は、彼らの賢さゆえではない。寄生虫に似せたマークを気にする性質のためである。この性質が利用できたのでマークテストの困難さが克服できたのだ。(p.208)
以下の部分、実はホンソメも(他の多くの生き物も)言語に近いシステムを、思考に転用できるシステムを、生得的に持っているのではないかと思う。
しかし、ホンソメが見せる「ユーリカ」は、魚類が思考の末に自分だと理解した瞬間と言えそうであり、この例は言語を持たない動物も、思考ができる可能性を示している。言葉を持たない鳥のカケスも、過去を振り返ることや、将来のことを思い描くことができる。(p.242)
やっとこさ読み終えた。論文が終わるたびに全く別の文章が始まるので、文章に慣れることがないまま 700 ページ近いボリュームはしんどかった。
特に楽しかったのは下記の三編。
掃除と掃除用具の人類史
裏アカシック・レコード
解説——最後のレナディアン語通訳
柱に長体がかかってて楽しい。
映画みたいな小説でした。いま改めて表紙を見て「もしかしてこの鳥があの鳥なのか」と驚いています。
現代の寓話なのか、恋愛小説なのか、人生論なのか、ミステリーかホラーか、いろいろ振り回されながら読み進む。最後は然るべきところに落ち着いた。という印象。
積んである本がどれも読めなくなって(たぶん精神が疲れていて)「とにかく読める本を、読みたくなる本を」と祈りながら買った。読めた。本を読める幸せ。
「ゲイルズバーグ、春」で少し泣いた。「神様の誤送信」につながっていく感じも好き。