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分類思考の世界

図書館の本
「進化」とか「認知」とか「分類」とか、興味のある分野が目白押しで、楽しかった。

扱う生物種が今後も増え続けるなら、最終的には、計算機にお願いすることになるのだろう。コンピューターさんが「ヒトの脳ミソの能力なら、過去の経緯も踏まえて、この分類がオススメですよ」とかいって差し出してきた分類を、だまって受け入れるしかないと思う。計算機のパターン認識はその程度に進歩するだろうし、人間の能力はそんなには変わらないのだろう。

以下、断片的に引用。パターン認識がてできたところでは、ちょっとした SF みたいにワクワクした。

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ところが、博物学者の活動が海外にまで拡大され、探検博物学が開花する十七世紀になると、コレクションのサイズが急激に膨張し、人の認知的上限を越えてしまう事態になったと彼は言う。個々のアイテムの個数でいえば「五〇〇」がわれわれ人間が耐えうる認知的リミットであるとされる。この限界に達するまでの博物学は、直感的な民族分類の段階にとどまっていた。
しかし、その認知的上限の向こう側には新たな科学が待っていた。それは「分類の科学」である。(p.275)
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多様な対象物を適切に分類し続けることは、ヒトにとって最節約的に記憶を整理すると同時に、より効率的な帰納的推論を可能にしただろう。そのような認知能力をもつことは、ヒトが自然界の中で生き残る上で有利に作用したにちがいない。(p.285)
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万物を分類すべく生まれてきたわれわれヒトは、実のところ自分自身にビルトインされた「分類思考」の正しい使い方を、誰ひとりとして知らないからである。(p.297)
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代わりに、そこにあるものは「パターン認識」である。多様な対象物を前にしたとき、そこにどのような「パターン」あるいは「種」を見いだすか、どのようなパターン認識がヒトにとってより「自然」であるか。(p.299)
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分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか (講談社現代新書)