報道の脳死

報道の脳死 (新潮新書)

報道の脳死 (新潮新書)

挑発的なタイトルの割に、しっかりした内容と思う。メディアに騙されないようにと気をつけてはいたけど、やはり素人には限界があったのだなと感じた。

例えば、福島第一原発が暴走し始めてから「死の灰」という言葉が使われなくなった。その代わり「放射性物質」「放射性降下物」「核分裂生成物」などの言葉が使われている。
しかし、3.11後も依然として「死の灰」と呼び続けている記事も多数出ている。何が違うのか。「外国の核が出した放射性降下物」は「死の灰」で「日本の核が出したもの」は「死の灰」という言葉を避けて言い換えている。(p.113)

気づいてなかった。たぶんこれからも、意識していても見逃してしまうケースが多いのだと思う。でもひとつずつ気づいていくしかないんだろうなあ。

「漢電カナタイプ」は事務机のような大きさの機械だった。一面に麻雀牌くらいの大きさのキーが並んでいて、漢字が割り当てられている。「パンチャー」という専門職が支局に常駐していて、手書き原稿をタイプする。機械は漢字とかなに変換、すると紙リボンに小さな穴がパンチされる。それを光学的に読み取って電気信号として送るのだ。(p.161)

文章だけだとイメージがつかめない。ネットで検索しても画像出てこないなんて。漢字タイプライター(盤面に漢字活字がみっしり並んだやつ)に似た何かか、いわゆる写植機に似た何かだと思うのだけど、こういう漢字を扱う機械は、文字の大きさが指で押せないほど小さい。漢電カナタイプのキーは麻雀牌ほども大きいらしいが、いったい字種は何文字くらい扱えるのだろう。

インターネット型報道組織には「取材・撮影・執筆」機能を担う「コンテンツ」部門しか必要がない。コンテナ、コンベア部門という巨大な装置部門を抱える新聞社やテレビ局に比べ、組織は必然的に小規模になっていく。(略)
この傾向が強まっていくことで組織が小規模化し、予算が小規模化すれば、現在の新聞社やテレビ局のような終身雇用制を前提にしたロングタームの雇用形態や給与体系は機能しないだろう。(p.182)

電子書籍にも、そのままとまで言わないが、おおむね同じ議論が適用できると思う。紙の質感とか、実体を所有する実感とか、著作権管理がわかりよいとか、そういった「どちらかというと……」という議論ではない。「装置部門が必要かどうか」のゼロ・イチのデジタルな議論がまず根源にあるべきだ。