ジーキル博士とハイド氏

ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)

ジーキル博士とハイド氏 (新潮文庫)

中学だったか高校だったかのときに一度読んで、ちっとも面白くなかった記憶があったが(古本屋で 105 円だったので)勇気を出してもう一度手に取ってみる。読むと面白い。そりゃあ当時の自分ではこの面白さは分からなかっただろうと素直に思う。何も知らないガキだったなあ。

「わたしは詮議だては嫌いなんです。いかにも最後の審判の真似をするようですからね。一つのことについて穿鑿(せんさく)を始めるのは、石を一つ転がすのに似ているのです。自分は丘の上に静かに腰をおろしている、が、その石は転げおちながら、途中の石をいくつも転がして行く。やがて(こちらには思いもよらないような)どこかの罪も報いもない老人か何かが、自分の裏庭で石に頭を打たれて死ぬ、そのために家族のものは家の名前を変えて、世の中をせまく生きなければならないってことにもなる、いやですからね。私は主義としてこうきめているんです――怪しく見えれば見えるほど、なおさら穿鑿はしないことだ」
「それはなかなかいい主義だ」と弁護士は言った。(p.12)

これを主題に小説一本書いてほしいくらい、心に響く「主義」だ。

(略)正からざる一方の性格は、その双生児である一方の正しき性格の抱く理想や悔恨に煩わされることなく、おのが欲するままに行動することもできるだろうし(略)(p.92)

にもかかわらず、この醜悪な影像を鏡のなかに眺めながら、わたしは些かも嫌悪の情を感じなかったばかりか、かえって小躍りして歓迎したいほどの感じを味わった。これもまたわたし自身だったのである。それは自然で人間らしく思われた。(p.96)

悪への肯定が文章の端々ににじみ出ていて迫力がある。悪に対して魅力を感じたのは久しぶりだ。